任期満了に伴う長野県知事選挙で、金井忠一氏が出馬の意向を表明しました。
金井忠一氏は公約として「少子化対策として学校給食日の無償化」「リニア中央新幹線工事の即時中止」「コロナ対策の根本的な強化」の3つの公約を発表しています。
明るい県政を作る県民の会のYouTubeチャンネルにおいて「県民に寄り添った、あたたか県政をつくる」と語っている金井忠一氏の経歴や学歴をチェックし、妻や子供も調査させていただきましたので、ご紹介させていただきます。
金井忠一のプロフィール
私たちの生活の土台にあり、切り離せない政治。今後も、どのような県政運営がされているのか、注視していきたいと思います。改めまして、長野県知事選挙へのご支援、本当にありがとうございました。(スタッフ) pic.twitter.com/GvvawQSzwF
— 金井 忠一 (かないちゅういち) (@kanaichuichi) August 6, 2018
名前:金井忠一
よみ:かない ちゅういち
生年月日:1950年7月14日
年齢:72歳
出身地:長野県上田市下室賀
事務所住所:長野市南石堂町1972 エスタシオン長野ビル302号室
金井忠一の経歴
長野県知事選最終日が終わりました。沢山の方に出会い、連日の猛暑の中、街頭にも多くの方に駆け付けていただき、切実な生活への思いや願いもお聞きしました。私は、どうしても県民の為の県政に転換したいのです。明日いよいよ投票日です。金井忠一への1票を、よろしくお願い致します。#長野県知事選 pic.twitter.com/qWXPLUtby4
— 金井 忠一 (かないちゅういち) (@kanaichuichi) August 4, 2018
上田東高校を卒業後は、上田市役所に25年間勤務していました。
市役所を退職後は上田市議会議員、上田市農業委員を歴任しており、市議時代には、3000件を超える生活相談にのり住民の声に耳を傾けていました。
2014年と2018年に上田市長選に2回挑戦しましたが、当選できませんでした。しかし、市長選を繰り広げる中で、1万食給食センターの見直しなどを実現しています。
また2018年の知事選に挑戦した際には「リニアよりクーラー」を訴え、その訴えにより県政を動かし、県内のクーラー設置がすすみました。
金井忠一氏は、多くの市町村に出向き、県民に寄り添うあたたか県政を目指して活動してきており、「忠ちゃん」の愛称で、地元の方から親しまれています。
金井忠一氏は、現在農業をされており、上田市に在住しています。
金井忠一の学歴
高校:上田東高等学校
高校偏差値:52
大学:進学していません
金井忠一氏の出身校は上田東高等学校で、1892年創設の歴史ある学校です。
上田東高等学校の教育目標には、社会の変化に対応し、課題を積極的に解決していく力を養うとあり、この教育方針が県政における課題解決にも活かされているのだと思います。
金井忠一の家族構成
これから金井忠一さんへの取材が始まります。政策だけでなく、どんな人物なのかを知る為の「横顔取材」です。金井さんのあたたかさ、ユーモア、多くの方に伝わりますように。取材前も新聞読んで情勢チェック。#長野県知事選挙 pic.twitter.com/2kW3fuPzgg
— 金井 忠一 (かないちゅういち) (@kanaichuichi) June 27, 2018
金井氏の家族は、妻と息子2人と娘の5人家族です。
現在は上田市国分の自宅で妻と2人で暮らしていて、保健所から引き取った犬が家族に仲間入りしました。
金井忠一の妻や子供
金井忠一氏の妻や子供について、名前や年齢などの詳しい情報を得ることはできませんでしたので、妻や子供は一般人である可能性が高いです。
子ども3人は独立し、6人の孫がおり成長がなによりも楽しみです。
金井忠一氏の旧姓は山崎で、21歳の時に結婚し、金井家の養子に入っています。
金井忠一の生い立ち
金井忠一氏は、1950年に上田市下室賀で、養蚕やコメ作りをする農家の長男として生まれました。
6歳の時に交通事故で父親を亡くしたため、農業を手伝いながら母親と暮らしていたそうです。
女手一つで子どもを3人も育ててくれた母親の後姿を見ながら育ったため、子供の時は大きくなったら楽をさせてやろうといつも考えていたそうです。
室賀小学校、川西中学校を卒業した後は、上田東高等学校に進学します。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は「金井忠一wiki経歴や学歴をチェック!家族(妻や子供)も調査!」をご紹介させて頂きました。
最後までご覧いただきありがとうございました。