2021年10月6日、岸田文雄内閣で防衛副大臣に任命された鬼木誠氏ですが、2022年第26回の参議委員選挙に立候補しています。
今回は衆議院議員4期目で副大臣に就任した鬼木誠氏について調べてみました!鬼木誠氏の妻や子供(息子や娘)の家族構成や、これまでの経歴や学歴も調査してみましたのでご紹介させていただきます!
『鬼木誠』のプロフィール!
ウクライナ🇺🇦支援について
防弾チョッキ、ヘルメットを積み込んだ航空自衛隊の輸送機が小牧基地を出発しました。#福岡2区 #衆議院議員 #防衛副大臣 #おにき誠 #鬼木誠 #自民党 #ウクライナ pic.twitter.com/Iai4bZYdHZ— おにき誠事務所 (@onikidonfukuoka) March 9, 2022
- 名前:鬼木 誠
- よみ:おにき まこと
- 生年月日:1972年(昭和47年)10月16日
- 年齢:49歳(2022年3月現在)
- 出身地:福岡県福岡市
- 血液型:非公表
- 身長:非公表
- 体重:非公表
- 趣味特技:ラグビー(高校時代からの現役プレーヤー)
『鬼木誠』の家族構成
鬼木議員の家族を調べてさせていただきましたが、鬼木議員は既婚で福岡市中央区の福浜団地に住んでいらっしゃいました。
福岡市中央区大濠のご実家にはご両親と弟さんが一緒に住んでいらっしゃるようです。
ご両親の職業は調べても見つかりませんでしたが、幼少期はお父様が転勤族だったこと、身内に政治家はいないと鬼木議員が公言しているので会社員ではないかと思われます。
しかし鬼木議員はあの名門のラ・サール高校、九州大学を卒業しているのでお父様もかなりのエリートではないでしょうか。
『鬼木誠』の妻はどんな人
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鬼木議員の奥様は悦子さんというお名前です。
悦子さんとは鬼木議員が西日本銀行に勤めている時に職場結婚をされたそうです。
結婚後はパートに転身しながらも引き続き同行で働き続けていましたが、いよいよ選挙活動を始める頃に選挙事務所の電話番が必要となったためパートを辞めてもらい、退職の翌日からは鬼木議員のチラシを配っていました。
また、鬼木議員の生まれて初めての街頭演説で鬼木議員が緊張のあまり頭が真っ白になり何を話していいかわからなくなってしまったそうですが。
しかし奥様が鬼木議員の頭をバチンと叩き「喋りなさい!」と言ってくれたおかげでなんとか初の街頭演説を終えることができたそうです。
SNSに奥様と公園をお散歩している写真をアップしていますが、マスクで目だけしかわからないものの、ハツラツとしたしっかり者の印象を受けます。
『鬼木誠』の子供
鬼木議員は幼保から大学までの教育費無償化や特別養子縁組家庭への支援にも取り組んでおり、
未来の日本のためにも尽力していますので自身にも子供がいるのかと思い調べてみましたが、どうやら一人も子供はいないようです。
鬼木議員が政治家に転身してからは奥様も政治活動のお手伝いに忙しく子育ての時間を作るのが難しかったのかもしれませんね。
『鬼木誠』の経歴
鬼木議員が政治家を目指そうと思ったきっかけは小学校6年生の時の担任の先生だそうです。
先生は平和学習に熱心で、ある日の授業で「世界から戦争をなくすためにあなたならどうしますか?」と問いかけたそうです。
多くのクラスメイトの答えや模範解答では「戦争に反対する!」というものでしたが「みんなが戦争に対して嫌な思いをするのに戦争がなくならないのは政治家が戦争を起こすからだ!」と先生に言われ戦争に反対する政治家になろうと決意したそうです。
政治家になる決意をした鬼木議員ですが大学を卒業した後の経歴を見て行きましょう!
1995年:大学卒業後に西日本銀行(現・西日本シティ銀行)に入行。
7年間の銀行員生活を経て30歳の時に福岡市中央区から福岡県議会議員の選挙に無所属で立候補し、3議席を7人で争う激戦の中で見事2位当選!
その後、県議会議員を3期10年務め、在職中に自由民主党に入党。
2012年:41歳の時に衆議院議員選挙に福岡2区で初当選!(現在は4期目)
2015年:環境大臣政務官に任命
2021年:防衛副大臣に任命される
2世、3世が多い国会議員の中で無所属の県議会議員から成り上がった鬼木議員はかなり将来を有望視されているのではないでしょうか。
『鬼木誠』の学歴
出身高校:ラ・サール高等学校
出身高校の偏差値:78(鹿児島県1位)
出身大学:九州大学法学部法律学科
出身大学の偏差値:60(河合塾ランキングより)
九州大学法学部法律学科出身有名人:現大阪府知事の吉村洋文氏をはじめ政治、法曹、経済など各界で活躍する人物を多数輩出
学生時代のエピソード
小学生の時に政治家になる決意をした鬼木議員は、大学在学中は中学時代の恩師の紹介で当時の衆議院議員であった太田誠一氏の事務所に通っていました。
就職活動が始まる頃、卒業後は松下政経塾に行くか太田氏の秘書になるかと考えていましたが恩師から「地元を知るためには銀行で地元の経済も知りなさい。」と言われ西日本銀行に入行したそうです。
『まとめ』
いかがだったでしょうか?鬼木議員は政治家一族ではなくごく普通の一般家庭から国会議員まで上り詰めましたが、鬼木議員は奥様と地元の友人や銀行員時代のお客様にとても助けられたと言っています。
しかしそれは鬼木議員の人柄、小学生の頃からの熱意が友人や地元の方に伝わったからだと思います。
鬼木議員のような熱い政治家が日本の未来を明るくしてくれる事を願っています。最後までご覧いただきありがとうございました。