今回は、立憲民主党愛媛1区の友近としろう(新人)が衆議院議員選挙に出馬しますが、経歴や学歴などついて調べてみました。
友近としろうプロフィール
まずはプロフィールから見ていきましょう!
名前 :友近聡朗(ともちかとしろう)
生年月日 :1975年4月24日
出身地 :愛媛県松山市・木屋町育ち
血液型 :B型
身長 :165㎝
体重 :60㎏
学歴
幼稚園 :勝山幼稚園
小学校 :清水小学校
中学校 :勝山中学校
高校 :南宇和高校
大学 :早稲田大学(人間科学部)
経歴(元サッカー選手)
友近さんの高校生の時の画像がこちら!
早稲田大学卒業後・・・
1999年 :ドイツ留学
2001年 :ドイツから帰国・三浦工業株式会社
・法人笹川スポーツ財団 特別研究員(Jリーグクラブ愛媛FCプロ契約)
2005年 :愛媛のJFL優勝
2006年 :J2昇格(キャプテン)
2007年 :参議院議員選挙 愛媛選挙区にて当選
・参院予算委員会委員
・文教科学委員会
・国土交通委員会筆頭理事
・党スポーツ議員連盟事務局長
・スポーツ本法成立に携わる
・東京オリ・パラ招致
・スポーツ庁設置に貢献
・新国立競技場将来構想ワーキンググループ施設利用委員 (スポーツ)
・与党時代、陳情要請対応本部の副本部長を務める
・公益財団法人笹川スポーツ財団に所属
・現在は会社経営
・立憲民主党愛媛県第1区総支部長
愛媛Jリーグの画像がこちら!
小学1年生の時母親がいなくなった?
友近さんは小学校1年生の時に学校から帰ると突然、母親がいなくなっていたのだそうです。友近さんには兄がいるらしく、その頃から父親と兄3人暮らしをしてきたそうです。
近くに祖父母の家があったらしくおばあちゃんが母親代わりになってくれてたとか。
母親と最後に交わした言葉
母は家に戻ってくる気配はなく、僕はしばらくどこかに出かけていると思っていた。
3〜4週間、経った頃だったと思う、19時前後に、父が誰かと電話(当時は指を引っ掛けて回す固定電話)で、話していた。「としろう、ほい…」と、受話器を渡された。誰だかわからず、もしもしと話したら母だった。40年前の出来事だけど、僕は「なんでお母さん、家に帰ってこんの?」と聞いたのを鮮明に覚えている…
母は、しばらく黙っていたと思う。その後、何か話していたけど、その内容は一切覚えていない…。「なんでお母さん、家に帰ってこんの?」それが、母と最後に交わした言葉だった。
母が家に戻って来ないとわかり、僕は泣きじゃくっていた。大好きだった母がいなくなった。
それから数年間、僕は毎晩、父の耳たぶを触りながら寝ていた。どこか母の柔らかさと似ていたのかもしれない…。3人での生活がはじまり、僕と兄の母親代わりは、祖母になった。参観日、洗濯、寝小便…。小言のひとつも言わず、キレイにキレイにしてくれてた。 引用:2021 友近聡朗公式ホームページ
まとめ
いかがだったでしょうか?友近さん素晴らしい経歴でした。
友近さんは幼い頃に母親が突然いなくなったことで苦労してきたことが沢山あったと思います。
今後も友近としろうさんのご活躍応援していきたいと思います。
友近としろうWiki経歴、学歴(元サッカー選手)小学1年生突然母親がいなくなった?を最後までご覧いただきありがとうございました。